東京地方裁判所 平成5年(ワ)10557号 判決 1995年9月28日
甲事件原告
カトーレック株式会社
(以下「原告会社」という)
右代表者代表取締役
加藤達雄
右訴訟代理人弁護士
大川隆康
同
八木原一良
甲事件被告兼乙事件原告
賀來達三
(以下「被告賀來」という)
右訴訟代理人弁護士
渡邉一治
同
竹村操
甲事件及び乙事件被告
杉山二郎
(以下「被告杉山」という)
右訴訟代理人弁護士
伊藤憲彦
主文
一 甲事件につき、被告賀來は、原告会社に対し、金一億二二五〇万五五九八円及び内金一億一九六五万八九五八円に対する平成五年六月二日から支払ずみまで年一割の割合による金員を支払え。
二 甲事件につき、原告会社の被告賀來に対するその余の請求及び被告杉山に対する請求のすべてをいずれも棄却する。
三 乙事件につき、被告賀來の被告杉山に対する請求をすべて棄却する。
四 訴訟費用については、甲事件及び乙事件を通じ、原告会社及び被告賀來について生じた各費用の各六分の一を原告会社の、右各費用の各六分の五を被告賀來の各負担とし、被告杉山について生じた費用は原告会社と被告賀來の負担とする。
五 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 当事者の請求
一 甲事件
1 被告賀來は、原告会社に対し、金一億四四〇〇万円及びこれに対する平成四年六月一七日から支払ずみまで年一割の割合による金員を支払え。
2 被告杉山は、原告会社に対し、金九四〇〇万円及びこれに対する平成六年六月二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 乙事件
被告杉山は、被告賀來に対し、金一億二〇〇〇万円及びこれに対する昭和六二年一月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
甲事件は、原告会社が被告賀來の行うヨーロッパからの「マトッラーヤクシ仏像」一体(以下「本件仏像」という)の輸入と我が国の博物館に対する売却(納入)に関し、被告賀來に対し、右輸入の際の銀行借入金の返済用資金として貸し付けた金員の返還を求めるとともに、被告杉山に対し、右売却ができなかった場合について、被告杉山が原告会社の被る損害を担保する旨を合意し、又は右売却(納入)の実行を確約したとして、その不履行を理由として損害賠償を求めたという事案である。
乙事件は、被告賀來が本件仏像を輸入するに当たって被告杉山との間で成立したとする本件仏像の売買契約又は貸付委託契約の各不履行、さらに詐欺による不法行為を理由として、被告杉山に対し、買付代金及びその費用相当額の損害賠償を求めたという事案である。
一 基礎となるべき事実
1 (当事者)
原告会社は、貨物自動車運送等を業とする会社(ただし、旧商号は加藤陸運株式会社)であり、被告賀來は、美術骨董品を扱う古美術商であり、被告杉山は、本件当時東京国立博物館東洋考古室長の地位にあり、現在は仏教大学教授として美術史を講ずる東洋美術専門家である(争いがない)。
2 (本件仏像の輸入計画と実行)
(一) 被告賀來は、昭和六〇年一月頃、被告杉山から、当時、ヨーロッパの美術市場に出ていた本件仏像について、それが千葉県松戸市において設立が計画されていた松戸市博物館の展示品に必要な立派な価値のある美術品であり、松戸市でもその購入が予定されているとの説明を聞くとともに、被告杉山においては本件仏像を是非我が国に輸入したいとの強い熱意を持っていることを感じ取った。
(二) 被告賀來は、その後、自らヨーロッパに出掛けて調査、交渉を行い、同年三月一〇日、イタリアのミラノにおいて、ロッシーから、四三万米ドル(当時の換算率は一ドル約二五五円余であり、金約一億一〇〇〇万円)で本件仏像を買い受け、同像は同年四月一七日に我が国に到着したため、被告賀來は日本通運の倉庫においてこれを保管した。
(三) 被告賀來は、右輸入に当たり、銀行から元本合計金九〇〇〇万円を借り入れ、これによって前記買付代金のうち三五万米ドル分を支払ったが、その後、本件仏像を松戸市に購入してもらうという計画が頓挫し、本件仏像の納入先が容易に決まらない状態となったため、右借入金の返済に窮するに至った。
(以上の事実は、乙一ないし一一号証〔枝番号を含む〕、丙一、被告賀來及び被告杉山の各供述によってこれを認める)。
3 (本件消費貸借契約の成立)
(一) 被告賀來は、昭和六二年二月、被告杉山を通じて、原告会社の代表取締役加藤達雄(以下「加藤」という)の紹介を受け、同年四月一七日、原告会社との間で、被告杉山の立会いのもとで、要旨次の内容の譲渡担保付金銭消費貸借契約(以下「本件消費貸借契約」という)を締結した(争いがない。ただし、譲渡担保の約定については甲二によってこれを認める)。
(1) 貸金元本 金一億四四〇〇万円
(2) 弁済期 昭和六三年一二月三一日
(3) 利息 年四分
(4) 損害金 年一割
(5) 特約 被告賀來は、右借入金債務を担保するため、原告会社に対し本件仏像の所有権を譲渡し、占有改定の方法によりこれを原告会社に引き渡すが、被告賀來が前記元利金を完済したときは、原告会社は本件物件を返還し、その所有権を被告賀來に移転する。
被告賀來が右支払を遅滞したときは、原告会社において任意売却又は自ら代物弁済としてその所有権を取得し、これらの方法によって右債務の弁済に充当することができるが、換価代金が債務額に満たないとき又は換価代金が債務額を超えるときは、過不足額を清算するものとする。
(二) 本件消費貸借契約書(甲二)においては、被告杉山が「立会人」として署名捺印した(争いがない)。
(三) しかし、原告会社から被告賀來に対して実際に交付された金員は、前記金一億四四〇〇万円から利息等として金三二〇〇万円を差し引いた金一億一二〇〇万円であった(甲五、乙一一及び原告会社代表者。ただし、原告会社と被告賀來間では争いがない)が、被告賀來は、これをもって銀行からの借入金の返済に充てた(乙七の一ないし四、八の一ないし三、一〇、被告賀來の供述)。
4 (原告会社の譲渡担保権の実行通知)
(一) 被告賀來は、前記弁済期を経過しても、前記借入金の返済をしない(争いがない)。
(二) そのため、原告会社は、被告賀來に対して平成五年五月二〇日到達の書面をもって、また、被告杉山に対して同月二四日到達の書面をもって、それぞれ、本件仏像を加藤に対して金五〇〇〇万円で売却すること及び右価格以上で本件仏像を買い受ける者がいれば、同月二八日までにその旨を申し出るよう通知したが、被告賀來及び被告杉山からは他に買受人がいる旨の返答はなかった(甲三の一ないし三、五、六)。
(三) そこで、原告会社は、同年六月一日、加藤に対し、本件仏像を金五〇〇〇万円で売却し(なお、当時の換算率は一ドル一一〇円前後)、右価格を被告賀來に対する貸金債務の一部に充当することとし、被告賀來から本件仏像の引渡しを受けた(甲四ないし六、八)。
二 争点
(甲事件)
1 被告杉山が原告会社との間で、本件仏像の我が国での売却(博物館への納入)に関し、それができなかった場合について、原告会社の被る損害の担保を合意し、又は右売却(納入)の実行を確約したか否か。
2 本件仏像の適正価格の認定と本件消費貸借契約に基づく残債務額の確定。
3 原告会社の被告杉山に対する本訴請求は原告会社の信義則違反、権利濫用又は過失相殺によって排斥されるべきか否か。
(乙事件)
1 被告杉山が被告賀來との間で、本件仏像の輸入の際に、売買契約又は貸付委託契約を締結したか否か。
2 仮にそうでないとしても、被告杉山が被告賀來に対して詐欺による不法行為責任を負うか否か。
第三 当裁判所の判断
一 本件における被告杉山の役割と関与について
前記「基礎となるべき事実」と証拠(甲一、二、五、六、乙一一、丙一、原告会社代表者、被告賀來及び被告杉山の各供述)を総合すると、次の各事実が認められる。
1 被告杉山(松戸市在住)は、昭和六〇年当時、文部技官として、東京国立博物館東洋考古室長の職にあり、著作も数多く著すなど東洋美術の専門家であったが、当時の松戸市長から、同市において新たに設立が計画されていた松戸市博物館(当初は、シルクロード関係の展示品を中心とすることが予定)の初代館長に就任することの要請を受けるとともに、展示予定品の購入の検討等について必要な協力を求められていた。
2 被告杉山は、それ以前から、古美術商の被告賀來を何かと目にかけ、松戸市博物館の展示予定品の決定に当たっては、松戸市の購入委員会に対し、被告賀來等が購入してきた合計金約六、七〇〇〇万円程度の美術品十数点の買上を推薦するなどして便宜を図ったりしたことがあった。
3 そして、被告杉山は、昭和六〇年一月頃、被告賀來に対し、外国から入手した売付宣伝用の本件仏像の写真を示した上、本件仏像はヨーロッパから買い付けてきて我が国に持ち込むだけの価値のある立派な美術品であることを説き、何とか松戸市博物館の展示品としたい旨を述べた。
4 そこで、被告賀來は、被告杉山に便宜を図ってもらえれば、輸入した本件仏像を我が国内の博物館に間違いなく売却できるものと考えた。そして、被告賀來は、同年一月下旬頃、ヨーロッパに出掛けて本件仏像の調査等を行って帰国した後、被告杉山から、松戸市では予算上金一億二〇〇〇万円程度であれば購入できる予定であるという話を聞いたため、同年三月一〇日、前記のとおり、ロッシーとの間で、本件仏像を四三万米ドル(当時の換算率では金一億一〇〇〇万円余)で購入する旨の売買契約を締結し、その輸入を遂げた。
5 しかしながら、その後、松戸市では、シルクロード関係の展示品を中心として博物館を設立する計画に対して異論が出始め、同市長も右計画に次第に消極的になったため、被告杉山が松戸市に対して相当の働き掛けをしたにもかかわらず、同市が本件仏像を購入してこれを松戸市博物館内に展示することにしたいとする被告杉山及び被告賀來の計画は頓挫するに至った。
なお、その後、松戸市の右博物館は、我が国の繩文時代の展示品を中心とする博物館として開館するに至ったが、被告杉山がその館長に就任することにはならなかった。
6 被告賀來は、そうしたことから、前記のとおり、本件仏像の買付代金捻出のために銀行から借り入れていた借入金の返済に窮するに至り、本件仏像の売却先について不安を持つようになったため、被告杉山に対して繰返し善処方を求めたところ、被告杉山においては、その後、自己の勤務する東京国立博物館にこれを売却することができるかもしれないことを示唆するようになった。
7 被告賀來は、銀行からの借入金の返済問題の解決のため、昭和六二年一月頃、被告杉山を通じて、原告会社の代表者加藤の紹介を受けた。
被告杉山は、美術品の収集家でもあった従前から加藤と親交があったところ、加藤に対し、被告賀來の前記窮状を訴えるとともに、本件仏像は東京国立博物館に納入されることになるが、それまでの間、被告賀來を助けるために何とか融資をしてやって欲しい旨を申し入れた。
8 加藤は、それまで被告賀來とは面識がなかったものの、被告杉山の熱意に動かされ、被告賀來との話合いを続けた後、同年四月初旬頃、被告賀來に対し、金一億五〇〇〇万円程度を融資することに決め、被告杉山に対しては、原告会社において起案した契約書案を示した上で、被告賀來の連帯保証人となるよう求めたが、被告杉山はこれを拒否した。
9 加藤は、同月一七日、被告賀來及び被告杉山との間で、原告会社が被告賀來に対して前記判示の約定に従って本件仏像を譲渡担保とした上で金一億四四〇〇万円を貸し付けることを合意し、本件消費貸借契約書(甲二)を作成したが、被告杉山はこれに「立会人」として署名捺印するにとどまった。
右契約書には、被告賀來の責任として、「被告賀來は、本件仏像が東京国立博物館において一億四四〇〇万円以上の価格で買上げされるよう責任をもって努力するとともに、万一同博物館での買上げが出来なかったときは、被告賀來は自己責任で一億四四〇〇万円以上で処分し、債務を弁済する」旨の記載がある(第五条)。
10 被告杉山は、その後、東京国立博物館に本件仏像を売却できるよう色々と努力したが実らず、昭和六三年三月には同館を退職し、その後も今日に至るまでの間、右売却に向けての努力を続けているものの未だ成功せず、結局、本件消費貸借契約に定められた弁済期である同年一二月末日が経過するに至ったことから、平成元年一二月には、原告会社から被告賀來及び被告杉山を相手方として本件消費貸借契約上の金銭の支払を求める旨の調停が申し立てられるに至った。
二 乙事件における被告杉山の責任の有無について
1 売買契約又は買付委託契約の成否
(一) まず、被告賀來は、被告杉山に対し、本件仏像の輸入の際、被告賀來と被告杉山間において本件仏像の売買契約又は買付委託契約が成立したとして、被告杉山には右契約上の不履行がある旨主張する。
そして、被告賀來は、その供述及び陳述書(乙一一)中において、右主張に沿って、「被告杉山が本件仏像を一番欲しがっていたため、最終的には被告杉山が金員を負担するものと考えていた」、「被告杉山は、資金繰りが付かなければ、自分が金銭を手当て〔工面〕をしてでも買いたいと言っていた」、「被告杉山から、松戸市博物館に入れるから、買えと言われた」などと述べている。
(二) たしかに、本件仏像の輸入の前に、被告賀來が被告杉山の取り計らいによって松戸市博物館の展示予定品ということで美術品十数点を松戸市に納入できたことや被告杉山が同博物館の館長に就任する可能性があり、同博物館の展示予定品の購入について強い影響力があったことは前記認定のとおりである。
しかしながら、被告賀來は、その一方で、「被告杉山による本件仏像の説明を聞いて、日本において、オリエント関係の立派な展示品を備えた博物館を作りたいということで、損得勘定抜きでこれを輸入したいとの情熱を持った」、「松戸市が買ってくれない場合のことは想定したここともなかった」と述べているのである。
しかも、被告杉山と被告賀來との間で、被告賀來主張にかかるような売買契約又は買付委託契約が真実締結されたというのであれば、被告杉山が被告賀來に対して売買代金又は買付費用をどのような形でいくら支払うかなどについて具体的な合意がなされていて然るべきであるところ、被告賀來においてはそのような事情について全く主張、立証するところがない。
さらに、被告杉山は、当時東京国立博物館東洋考古室長の職にあり、東洋美術の専門家であり、松戸市博物館の初代館長就任の可能性があったことは前記認定のとおりであり、そうしたことから、被告杉山においては、当時の状況下で、右館長には自らが就任することになり、松戸市でも自己の進言に従って本件仏像を購入するであろうとの自信と見込みを持ち、何とか本件仏像を同博物館に展示したいとの強い願望を持っていたことは容易に想像することができるのではあるが、被告杉山自身は、その経歴が示すとおり、あくまで美術学者にすぎないのであって、本件証拠上、一億円を超える資金の手当てをして自らその費用負担をしようとしていた形跡は全く窺われないのである。
以上の事情によると、そのような被告杉山が自ら巨額の金員の出捐をしてまで、いったん本件仏像の買受人となり、あるいは被告賀來にその買付を委任し、その後にこれを松戸市に転売して右買付にかかる代金や費用を回収、清算しようと考えていたとは認め難いといわざるを得ない。そして、被告杉山自身、被告賀來主張にかかる売買契約又は買付委託契約を締結しようとする意思は全くなかった旨主張し、その旨供述しているのである。
(三) そうすると、被告賀來の前記(一)の供述部分等は直ちに採用することはできず、これによって、被告賀來と被告杉山間において本件仏像の売買契約又は買付委託契約が成立したものと認定することはできないといわなければならない。
したがって、右契約の成立を前提とする被告賀來の被告杉山に対する請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
2 詐欺による不法行為責任の有無
(一) 次に、被告賀來は、被告杉山は自らの社会的地位等を利用し、本件仏像は直ちに転売することが容易でないことを知悉していたにもかかわらず、これを秘し、被告賀來に対し、松戸市への転売が容易であるかのように又はそうでなければ自己が買い受けるかのような虚偽の事実を申し向けて本件仏像を購入させた上、資金繰りに窮した被告賀來に対し、融資を受けるためと称して本件仏像を譲渡担保に差し入れさせ、その結果、損害を被らせたから、被告杉山は詐欺による不法行為責任を負う旨主張する。
(二) しかしながら、本件全証拠を検討してみても、被告杉山が被告賀來に対して本件仏像の輸入を勧めた当時において、被告杉山に被告賀來を騙そうとする詐欺の意思があったことを認めるに足りる証拠はない。たしかに、前記認定説示にかかる事実関係からすれば、被告杉山においても、本件仏像の博物館等への納入実現について大幅に見込みを誤った点のあることは否定できないところであるが、そうだからといって、被告杉山に被告賀來を欺いたというような違法な点があったとすることはできない。
そして、前記事実関係からすれば、被告杉山は、銀行からの借入金の返済に窮していた被告賀來を助けるために、原告会社の代表者加藤を紹介したのであり、また、証拠(被告賀來の供述)によると、被告賀來においても、原告会社からの本件消費貸借契約に基づく借入金がなければ、被告賀來の資金繰りは破綻していたであろうと考えていることが認められ、これらの事情によれば、被告杉山が被告賀來に対して融資者として加藤を紹介し、その後に譲渡担保付きで本件消費貸借契約が締結されるに至ったことについて、被告杉山が何らかの欺罔行為を行ったものとはおよそ認め得ない。
(三) そうすると、被告賀來の被告杉山に対する不法行為に関する請求は、その余の点について判断するまでも理由がない。
3 以上によれば、被告賀來の被告杉山に対する乙事件の請求はすべて理由がないことに帰着する。
三 甲事件における被告杉山の責任の有無について
1 原告会社は、被告杉山は本件消費貸借契約締結の際原告会社との間で、被告賀來において本件仏像を売却できなかった場合につき、原告会社の被る損害を担保する旨を合意し、又は右売却の実行を確約したとして、被告杉山にはその不履行がある旨主張する。
2 そこで、検討するに、原告会社と被告賀來の間では、被告杉山による紹介がされるまで取引関係がなかったことは前記認定のとおりであり、また、証拠(甲五、六、乙一一、丙一、原告会社代表者、被告賀來及び被告杉山の各供述)によると、加藤は、被告杉山から、本件仏像は東京国立博物館において金一億五〇〇〇万円以上で買い上げられるだけの価値のある美術品であること及び加藤が被告賀來に融資してやれば、金二、三〇〇〇万円くらいの利益を上げることができる旨の説明を受けたこと、そして、加藤は、被告杉山の地位や東京国立博物館に対する影響力からすれば、本件仏像は間違いなく速やかに同博物館に納入されることになり、被告賀來に対する融資金も確実に返済されるものと信じて、本件消費貸借契約を締結するに至ったことが認められる。
右認定事実によると、原告会社としては、被告賀來に対して融資を実行するに当たっては、被告賀來が一古美術商にすぎない以上、被告杉山の右のような説明が極めて重要な意味を持ったことは明らかであり、そうした被告杉山の説明がなければ、本件消費貸借契約が締結されることもなかったとさえいうことができ、その意味では、被告杉山の右口添えの果した役割には極めて大きいものがある。
3 しかしながら、加藤が本件消費貸借契約書(甲二)の作成に先立って被告杉山に対して被告賀來の連帯保証人になるよう求めて、被告杉山からこれを拒否されたこと、被告杉山が同契約書においては「立会人」としてしか署名捺印していないことは前記認定のとおりである。そして、同契約書第五条において、本件仏像の一億四四〇〇万円以上の価格での東京国立博物館への売却と自己責任による処分換価に関してその責任を明記されたのはあくまで被告賀來であって、被告杉山でないこともまた前記認定のとおりである。
また、証拠(乙一一、丙一、被告賀來及び被告杉山の各供述)によると、被告杉山は、原告会社から、当初の本件消費貸借契約書案に基づいて「保証人」としての署名捺印の承諾を求められた際、東京国立博物館において本件仏像を前記価格でもって買い上げるというようなことを確約することはできず、また、被告杉山はそのような立場にないということで保証人として署名捺印することを断固として拒否し、「立会人」として署名捺印することでようやく了承したこと、また、加藤と被告杉山間では、その頃、被告杉山が原告会社に対して本件仏像の東京国立博物館への納入に関して努力するといった趣旨の念書を差し入れるというような話も出たが、結局、その作成にまでは至らなかったことが認められる。
これらの事情によると、被告杉山は、本件消費貸借契約締結の際、本件仏像の東京国立博物館への納入に関して原告会社に対して何らかの法的責任を負う意思を有していたとは到底認められず、原告会社の主張にかかるような損害の担保の合意又は売却(納入)の実行の確約をしたものとは認められないといわざるを得ない。
この点について、原告会社代表者は、右立会人としての署名捺印をもって右合意ができたものと思ったし、被告杉山のような社会的地位のある人が顔を赤らめながら被告賀來に対する資金援助の依頼をしてきたので、本件仏像の東京国立博物館への納入は確実になされるものと信じたと供述するが、原告会社代表者のそのような理解と期待は被告杉山のそれまでの前記言動からすればまことに無理からぬものではあるが、原告会社側のそうした主観的事情だけをもって、前記合意の成立の事実を直ちに肯認することはできないといわなければならない。
なお、証拠(甲五)によると、被告杉山は、平成元年五月末頃、原告会社訴訟代理人大川隆康弁護士に対し、利息の一部として現金一五〇万円の支払をしようとしたことがあったものの、同弁護士がこれを受領しなかった事実が認められるが、右証拠によると、これは、被告杉山において道義的な責任感に基づき原告会社に対して何とか誠意を示そうとしたものにすぎないと解されるから、右事実をもって、被告杉山が自己の法的責任を自認したものとすることはできない。
そして、本件証拠上、他に原告会社の右主張を認めるに足りる的確な証拠はない。
4 以上によると、原告会社の被告杉山に対する甲事件の請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がない。
四 被告賀來の本件消費貸借契約に基づく残債務額について
1 本件消費貸借契約の貸付元本額
(一) 原告会社と被告賀來間で成立した本件消費貸借契約において、実際の貸付金としての交付額が金一億一二〇〇万円にとどまり、利息等として金三二〇〇万円が差し引かれたことは前記のとおり当事者間に争いがない。
(二) そして、右貸付金から控除された金三二〇〇万円について、原告会社はそのうち金一二〇〇万円は利息の積立てであり、また、金二〇〇〇万円は加藤に対する謝礼金であるなどと主張するが、他に十分な主張をなし得ない以上、その名目はともあれ、結局、右金三二〇〇万円は貸付元本との関係ではから天引きされた利息と評価されるべきものであるから(利息制限法三条)、本件消費貸借契約における貸付元本額は金一億一二〇〇万円であったというべきである。
(三) そこで、右元本額を基礎として、前記判示の弁済期及び約定利率、遅延損害金の割合に従って、超過利息を元本に組み入れるなどして、平成五年六月一日時点での貸付元利金額を計算すると、別紙計算書のとおり、残元本額金一億一九六五万八九五八円及び既経過遅延損害金五二八四万六六四〇円の合計金一億七二五〇万五五九八円となる。
2 譲渡担保権実行時の本件仏像の適正価格
(一) 原告会社が本件消費貸借契約における約定に従い譲渡担保権を実行した経緯は、前記「基礎となるべき事実」において判示したとおりである。
(二) そこで、右譲渡担保権実行時(平成五年六月一日)における本件仏像の適正価格について検討するに、証拠(甲五ないし八、原告会社代表者及び被告杉山の各供述)によると、本件仏像は、昭和六一年三月当時、国際取引上、被告賀來が購入した価格である四三万米ドル(当時の換算率で金約一億一〇〇〇万円)程度が相当とされるような高価品であったこと、我が国においては、いわゆるバブル経済がはじけて以降、高価な美術品の取引が停滞して買い手が付かなくなり、国内市場での取引は期待できなくなったこと、実際にも、被告杉山は、約七、八年間にわたって本件仏像の売却努力を続けているが、今日まで、金一億円以上で買い取るというような具体的な買い手は現れていないこと、そして、被告杉山は、平成五年六月一日時点において、本件仏像の価格が金五〇〇〇万円程度と言われれば、美術品の相場としてはそのようなものである旨を述べていること、原告会社では、本件仏像の売却を知人に当たってみたものの、金二、三〇〇〇万円程度での買受希望者がいたくらいであったため、平成五年六月一日当時の換算率によれば、四三万米ドルが金約五〇〇〇万円弱となることもあり、加藤に対して本件仏像を金五〇〇〇万円で売却することとし、前記認定の経緯により、右価格をもって譲渡担保権を実行し、本件仏像を売却、換価したことが認められる。
右認定の事実関係を総合して考えると、原告会社が日本国内では本件仏像の買い手を容易に見付け得ないものとして、平成五年六月一日時点における本件仏像の適正価格として、国際市場での取引の例に従い、前記のとおり、米ドル建てによって、金五〇〇〇万円を算定したことは必ずしも不当なものであったとはいえないというべきである。
(三) これに対し、被告賀來は、本件仏像の日本円による購入価格金約一億一〇〇〇万円に購入経費を加算した金一億二二〇七万七九七一円が平成五年六月一日時点における市場価格としての適正価格である旨主張し、尋問に際しても、本件仏像は現在でも金一億二〇〇〇万ないし一億五〇〇〇万円の価値がある旨述べている。
しかしながら、被告賀來の右主張及び供述は、他にこれを裏付ける客観的な資料がなく、結局、昭和六一年三月当時の円相場を基にして、本件仏像のあるべき価値について自己の見解を述べているものにすぎず、取引市場での現実的な交換価格を述べるものとは解し難いし、しかも、被告賀來自身、自分が探した買い手との話の中では、本件仏像をいくらで買うというような具体的な話が出たことはなかった旨を述べているのである。
右のような事情と前記(二)で認定した事実関係のもとでは、平成五年六月一日時点における本件仏像の適正価格が金五〇〇〇万円を超えるものであったとは認め難く、被告賀來の右主張及び供述はそのままで採用することはできない。
そして、他に右認定判断を左右するに足りるだけの証拠はない。
3 本件消費貸借契約における残債務額
前記1で判示した平成五年六月一日時点における本件貸付元利合計額金一億七二五〇万五五九八円について、民法の規定に従い、本件仏像の前記換価代金五〇〇〇万円を既経過遅延損害金から先に充当していくと、残元本額が金一億一九六五万八九五八円、既経過遅延損害金の残金が金二八四万六六四円ということになる。
したがって、甲事件における原告会社の被告賀來に対する請求は、以上の合計金一億二二五〇万五五九八円及び内右残元本金一億一九六五万八九五八円に対する平成五年六月二日から支払ずみまで年一割の割合による約定遅延損害金の支払を求める限度で理由がある。
五 結論
以上のとおり、甲事件については、原告会社の被告賀來に対する請求は右の限度でこれを認容すべきであり、被告賀來に対するその余の請求及び被告杉山に対する請求のすべてをいずれも棄却し、また、乙事件については、被告賀來の被告杉山に対する請求をすべて棄却すべきである。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官安浪亮介)
別紙計算書<省略>